第10回「いじめ・自殺防止作文・ポスター・標語・ゆるキャラ・楽曲」コンテスト


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優秀賞受賞作品
「いじめに立ち向かう」
宗 正樹(そうまさき) 


 いじめによる子供の自殺といったニュースが最近よく目につく。そこには小学生の低学年も含まれている。自分の小学生の頃を考えてみても、何で小学生が自殺なのだろうとは思う。が、自殺した子の親や関係者は自殺に納得できず原因を知りたい、このような悲しいことが再び起きないようにしたいとの思いから、勇気をもって表に出、発言されているのだろう。

 小学校から高校までの自殺は、その原因として学校内でのいじめ、仲間外れが多い。いじめ、仲間外れを大したことは無い、一過性のものだと考えがちだが、いじめの対象となった子供は堪ったものではない。その子に取っては人生を掛けた問題である。相談する人が周りにおらず、一人で抱え込み、苦しみ続ける。多分嫌な毎日だろう。
 
 いじめは昔から有る。私がいじめを受けたのは60年程前、中学生の時であった。
 私は町立の中学校に通っていた。当時その中学校は荒れていた。不良グループが幾つかあり、授業中に廊下の窓ガラスを割って回ったり、喚いたり、歌ったりしていた。昼休みは体育館の裏側にたむろしていた。ナイフで同級生を刺し、少年院に送られたなどと言った事件もあった。
 
 群内の七つの中学校が集まり、年一回「群陸上大会」があった。二年生の時には私の中学校が会場となった。トラックには各校代表の陸上選手が集まり競技が進んでいる。我々応援団はトラック周りに学校毎に集まり、声を出して応援する。
 
  一方、毎年のことではあるが各校の不良グループは体育館裏の松林に集まり一触即発の状態。若い男の先生は解散させる為に学生を追いかけ回している。競技は何も無いかの如く続けられる、そんな中学校にいた。

  生徒の間では不良グループが「お金を巻き上げている」といった話が伝わっていた。誰もが「自分のとこには来ないで」と願い、誰かがたかられていても見て見ない振りをする。そんな状態だから、誰かがたかられたと分かっても「どうした」と声を掛けることも無い。そう、不良グループは纏まっているのに、一般の生徒は孤立している。当然、被害者が纏まって不良グループに対抗することも無い。不良グループは相手をよく見、調べている。決して、先生にチクりそうな奴、力の強い奴のところには近づかない。彼らのターゲットは友達の少なそうな、ある程度のお金を持っていそうな生徒、そして力の弱そうな生徒である。

  そんな中学校の中で私もついに標的となった。同じクラスの不良から「五円貸せや」と言われ、嫌だなあと思いながら一度お金を渡したらまた「金貸せや」と言ってくるのを分かっていながら渡してしまった。当時の五円は菓子パン一個が買える金額であり、五十円位はいつも持っていた。部活の帰りに部の仲間と店に寄って菓子パンを買うことを我慢するだけで良いんだとも思い、自分を納得させた。
不良も賢い。継続的に巻き上げるために、先生や親に言いつけない金額、中学生が出すのにあまり負担にならない金額。こうして五円は決まっていたようである。だからだろう他の不良にたかられた時も「五円貸せや」だった。

  それまで学校帰りにたかられていたのが、ある日曜日に家まで来てたかられた。そいつとは小学校も違い、家も離れているはずだが、どう調べたのか、庭に入ってきてまた「五円貸せや」である。

  それ迄何度もたかられ、断る勇気のない私自身に嫌気がさし、家にまで来られたことに危機感を持った私は「今まで何十円も貸しとろうが、それを全部返してからにして」とかなりの勇気を発揮し言った。当然、今までのように黙って五円出すと思っていた彼は、しばらくポカーンとしていた。

  彼は「お前、黙ってお金出したが良いぞ。生意気なことしよると、ひどい目にあうぞ」という。私がもう一度「とにかく貸した金を全部返さんとお金は貸さん」というと、その日彼は五円を得ることなく帰っていった。彼一人で私と殴り合って迄お金を盗ろうとはしなかった。

  彼らの中では、学校内であれば不良行為を働いても先生に怒られるだけだが、学校外でことを起こすと警察沙汰になりかねないとの知識があったようである。警察は警察で学校内の問題には介入したくない、学校で解決してほしいとの思いがあった。教師もまた学校内の問題と考え、警察に通報するのは隠しきれなくなった時だけであった。

  その日はそれで済んだ。私は勇気を奮えた自分が少し誇らしかったが、明日からの学校生活が不安になってきた。子供とはいえ男が金をたかられていたなんて、恥ずかしくて親にも友達にも言えない。まあ、実際のところ私だけでなく、同じような目にあっていた同級生が沢山いたのだが。別の中学校に転校しこんな思いから抜け出したいとも思うが、親に一言も言っておらずそうもいかない。翌日から、周りを警戒し、教室から出ず、友達と離れず学校生活を送っていた。

  そんな日々のある日、昼休みに同じクラスの一人が呼び出しに来た。「話があるけんちょっと付き合ってくれ」と言われ、かなり不安を感じながらそいつについて行った。多分殴られるだろうなとは思いつつ。体育館の裏側に行くと十四、五人が集まっており、体育館の壁を背にして取り囲まれた。

  顔は知っているが名前の分からないリーダーらしいのが二人。後は取り巻き連中でリーダーの指示を待っている感じ。もちろん私から五円取って行った奴もいる。リーダーが「始めろ」と言うと、私が五円貸していた奴が小さな声で「五円貸せ」と言う。リーダーが「声が小さい。もっとドスを利かしてやれ」と指示する。彼は少し大きな声で「お前の為やけん、五円貸せ」と言う。

  私は殴られることを覚悟して「今まで貸した分を返さんか、そしたら貸してやる」と答えた。するとリーダーがこれじゃダメと思ったのか「俺に、五円貸してくれ」と言う。私が「もう、誰にも貸さんことに決めた」と答えると、メンツを潰されたと思ったのか、一人を指さして「お前、こいつを殴れ。顔は先生にバレたらまずいから腹を殴れ」と指示をする。気は進まないようだがリーダーの命令、周りを十数人が取り囲み、見つめている。彼は私の腹を殴ったが、力が入っておらず痛くもなんともない。リーダーは「もっと本気でやらんか、ちゃんとやらんとお前を殴るぞ」と叫ぶが、二度目も大して痛くない。本気で知っている人を殴るのは容易ではないらしい。最後はリーダーが出てきて「見とれ」と言って腹を四、五発殴られた。さすがリーダー、慣れているようでかなり応えた。

  その日はそれで終わった。教室に戻っての午後の授業は上の空。腹が痛いのと、頭に来ているのと、悔しさで一杯。それから三日、私は色々と考えた。この状態から抜け出すためにはどうしたら良いか。親に話して転校させてもらうか、先生に話して何とかしてもらうか。結局、担任に話すしかないだろうと決め、職員室に話に行った。すると一時間もしないうちに「校長室の横の部屋に来い」と担任から呼び出しがあった。行くと先日私を殴った連中の内6人が正座させられ、大分怒られ、殴られたたようで皆下を向いている。今ではたとえ不良生徒でも教師が殴ると問題になるだろうが、60年前は生徒に体罰を与えることは、何の問題も無かった。

  担任から「お前も正座しろ」と言われ、「えっ」と思ったが正座した。すると「こいつらも悪いが、お前も生意気なとこがある」と言われた。で、「よく叱っておいたからこれからはこんなことは無い。お前たちは同級生やから、仲直りの握手をしろ」と言われた。先生は何言っているのだろうと思ったが、相手は担任、黙って握手した。その場はそれで一応治まったがどちらも納得出来ていない。彼らは私が告げ口したことを怒っているし、私は担任へ対する信頼を失い、担任は私の不安な気持ちを何にも分かっていないのだなと思った。

  そんな握手では、なんにも解決していなかった。

  そして二日後の昼休み、弁当を食べ終わった頃、握手で仲直りしたはずのリーダーが教室に入ってきて、「舐めやがって」と叫びながら椅子を振り上げて迫ってきた。一撃目を何とかかわし、椅子が机に当たった。再度振り上げて迫ってきたので相手の腕をつかんだ。同時にクラスの友人が「やめろ」と言いながら後ろから椅子を掴んでくれた。他のクラスメートが職員室に走り担任を呼びに行く。担任は走ってきてそのリーダーを職員室に引っ張っていった。私は怪我することは無かったが、かなりのショックを受けた。ただ、クラスメートが助けてくれたことがとても嬉しかったし、何となく、これで「五円貸せや」は終わったなと思った。

  それ以来、私に対する「五円貸せや」も、集団での暴行も無くなった。その後もしばらくは不安だったし一人になることを避けていたが、しばらくするとその不安も消えていった。あの時、椅子を後ろから掴んでくれたクラスメート、職員室に走ってくれたクラスメートによって救われた。

  彼らが怒って二度目の暴行を加えてきたことは、私を怪我させ屈服させることで、お金をたかることを常態化しようとしたのだろう。だが、彼らも五円取るたびに先生や警察に話が伝わると具合が悪い。こんなことが何度も表ざたになってしまうと、家庭裁判所や少年院送りになってしまう。

  私の場合は、複数回の五円貸し、一回の集団暴行、教室で襲われたことで全ては終わった。これも周りに友人や教師が居たこと、勇気は要ったし、痛い思いもしたが、切羽詰まって、周りの人に話できたことによる。

  人夫々に事情は違うが、たかり、いじめを受けている人は全く悪くない。いじめ、たかるる奴が絶対的に悪い。周りの人は鈍感で何も見てくれていないように見えるが、ちょっと勇気を出し、「いじめられている」と声を上げれば、必ず力になってくれる。

  いじめ、仲間外れは世の中にいくらでもあるし、かなりの人がいじめられた経験を持っている。いじめに遭っている時、人は「自分は一人なのだ」と思いがちであるが、周りには同じようないじめにあっている人が実は沢山いる。そういった人はいじめられることの辛さを良く知っており、きっとあなたの話を聞いてくれるし、どうしたら良いかもおしえてくれる。いじめられていることは、恥ずかしいことでも、人に隠すことでも何でもない。絶対的にいじめている人の方が悪いのであって、話が表に出て困るのは彼らの方である。

  もし、今いじめに遭っていると感じるのであれば、友人、教師、親、誰でも良いから相談すると良い。相談できたことでいじめ問題の半分は解決している。